無知の知ノート

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「いい夫婦の日」に こんな話も何なのだけど 父と母は幸せな人生だったのだろうかと時々考えてしまう

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父と結婚する前の 母の恋話を聞いたことがある 

父が亡くなってから聞かせてくれた 母の遠い昔の恋物語  

 

母は 私とは全然違って 読書が好きで文学少女だった 

 

そんな母のことを いつも優しい目で見つめるDさんは 

繊細で 知性溢れる男性だった 

 

母は兄の勧めるまま 兄の親友だった父と結婚させられた  

背が高かったDさんに比べると 少しガッカリしたそうな(父さんゴメン)

 

母が父と結婚してからも 

「何かあったら 一生面倒みてやる」と Dさんは母に言っていた 

 

母が兄のように慕っていたDさんは 結婚は叶わない母のいとこだった 

私が「会ってみたい」と言うと 母は「結核で亡くなった」と言った 

・・・切ない 

 

もしも母が Dさんと結ばれていたなら 私はこの世にいないのだけど 

それほどに引き合う男女が 一緒になれないのは 切な過ぎる 

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話は外れるけど 

私の左の眉尻に 逆さ方向に生えているのが1本あって 
それが眉毛を眉頭の方へ立ち上げてしまうので 私はそれを定期的にカットしている 

 

いつだったか そのことを母に話した際 
母との会話は意外な方向へと展開した 

 

「それはお父さんの遺伝だよ」 と母が笑った 

 

知らなかった 
生まれた時 自分と同じ眉だと言って 父は大喜びしたらしい 

 

考えてみれば じっくりと父の顔を見た事があっただろうか 

16歳の夏の日からずっと 私は心のどこかで父を許せずにいた 

 

その日 家には私ひとりで 
かかってきた電話は 父の愛人だと名乗る女性からのものだった 


私の父と何年も前から付き合ってきたこと 
父との子をおろしたこと、、、など 

一方的に受話器の向こうから聞こえてくるその女性の話は 

父との間に何があったのか 事実かどうかは関係なく 
私を混乱させ 傷つけた 


忘れかけていた記憶が蘇っていた、、、小学校3年の頃 


学校から帰ったとたん 台所に居た母に私はきつく両腕を掴まれて 
父か母か どちらと暮らすかと詰問されたことがあった 


結局離婚にはならなかったけれど 
母は何年間も 父の裏切りに苦しんでいたに違いなかった

 


電話があったことを 
ひとり心に秘めておくほど おとなではなかった私は 父に問い詰めた 


結局 愛人問題での父との会話は 
泣きじゃくってしまった私に 何の結論も出されないまま 

事実かどうかを確かめる術もないまま  


その後何年も 
父と目を見て話すことが 出来なくなってしまっていた 


ただ一言 その時の父の言葉を 今も覚えている 
「大人になったら いつか理解できる日が来る」

 

小さい頃から 泣かない聞き分けのいい子って 言われてはいたけど
考えてみれば あの時から 親の前で泣いた記憶が 無い 

 

その当時 すでに結婚して家を出ていた8歳年上の兄に 
私は何も話さなかった 


私たち子供にとっては 良妻賢母の母と 家族を愛する父で 
それは揺るぎない事として信じていたのだから


覗いてしまった父と母の修羅場を 兄に話すことは出来なかった 

 


父も母も亡くなって もう何年も経って  
最近になって思う 
いろんな愛の形があっていいし 誰もそれを否定できない 

 

けれど 傷つけずに人を愛するって 
なんて難しいことなのだろう 


父が 母以外の女性にも愛を求めたのは 
父が人一倍寂しがり屋で 甘えたな性格だったからだ
所詮 人は孤独なのに 

 

もう父を責めるのは止そう 
父には一度も言えなかったけど やっぱり私は父が好きだ 

 

時々少年みたいにイタズラで やんちゃだった父 
ドライブや旅行が好きだった父 
世話好きで 人を喜ばせることが なにより嬉しかった父 

 

16歳のあの夏の日まで 父と私は大の仲良しだった 
時間を戻すことは出来ないし 
父の逆さ眉毛を確認することも もう出来ない 
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私が結婚した後に 

母が父と別居したいと言い出したことがあった 

 

父と母の 価値観の相違があったことは否めない  

母の人生最後のわがままを 私は叶えてあげたいと思った  

 

父に話すと  

「覆水盆に返らず」と言って 別居は断固受け入れられず 

父と母は 近所でも 仲の良い夫婦と言われる生活を最後まで全うした 

 

自分の両親は 幸せな人生だったのだろうか 

 

父が言っていた「いつか理解できる日」

拭えない記憶が 今も時々 私に問いを投げかけてくる 

 

 

ご訪問ありがとうございました 

感謝☆

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