ピアノ弾きから肉体労働者へ
引き出しの整理をしていたら
奥の方から 名刺が出てきた
肩書きは PIANO & VOCAL
捨ててしまった過去の私
幼稚園の頃から ピアノをやっていて
娘をピアニストにするのが 父の夢だった
小さい頃から コンテストにも連れて出されたけど
賞をとったことなど 一度もない
娘に才が無いことは 父も気付いていたはずなのに
二十歳になる前に ひとり旅に出たいと言った時
「旅に出たら もうピアノ弾けなくなるぞ」と
父は諦めきれていないようだった
私の中では
とっくに挫折していたピアノだったが
半年間の旅を終えてから やっぱり
また ピアノを弾きたくて 仕事を探した
レストランやカフェなど
飛び込み交渉で 仕事を得た
たいてい30分演奏 30分休憩の 3ステージ
インストゥルメンタルだけじゃなく
弾き語りもしたいと思ったけど
コード進行や アドリブ奏法など
プロとして必要な知識は浅く
おまけに それほど歌も上手くない
あらためてPIANOとVOCALの教授を受けながらの
かなり図々しくて 運がいいだけの デビューだった
派遣プロダクションに所属してからは
ホテルのラウンジや 会員制クラブなど
収入はそれなりにあった
時にはステージ掛け持ちで 夜の梅田新地を
タクシー軍団に負けずに車を飛ばして移動した
ある時 デートで行った映画館で
某ラウンジ広告が入り
ピアノを弾く自分の姿がスクリーンに映った時には
背筋が伸びるほど驚いた
・・・えっ? 私!? ww
いろんな人とも知り合い 愉快な思い出もいっぱい
毎週 花束をくれる常連さんや
海外から出稼ぎのミュージシャンたち
ダニーや デレクや ミッシェルや・・・
バニーガールさんのいるお店では
控室で バニー衣装を着せてもらったこともあったww
みんないい人たちで 有難かった
でも
ピアノ弾きだけど ピアニストではない
父が望んでいたような仕事でもない
1001曲の楽譜を抱えて
リクエストがあれば 映画音楽 ポップス 何でも弾く
一生懸命 取り組んではいたけど
人生のアルバイト期間のような気がしていた
その頃 並行して始めたのが
スポーツクラブでのアルバイト
タダでトレーニングマシーンが使えるからという
打算的なキッカケだったが
振り返れば 出会った人に恵まれている
バイト後は 腹筋台で500回とか
ガツガツにマシン利用もして トレーニングしていた
「そんなにトレーニング好きならイントラ目指せば」 と
ほぼ同時期に ふたりの人から
元タカラジェンヌのエアロインストラクターと
スポーツトレーナーの主任男性から勧められて
インストラクターへの道を進むこととなった
ピアノの仕事は週3から 週2 週1へと減らしていき
肉体労働者まっしぐらの日々へと 突入したのだった
そして
・・・一生共に と思っていたグランドピアノも手放し
ロングドレスも ヒールも 全部 捨てた
名刺と一緒に 引き出しの奥に眠っていた
擦り切れた 手書きの譜面たち
もう使う事はないだろうけど
これは
捨てられない
努力と達成と 挫折の記念に
明日の運命なんて 誰にも予測つかない
だからこそ
ただその時に 精一杯
それでいい
挫折したっていいんだ
それを恐れていたら 何も出来ないし
その時の思いが たとえ
もう戻れない場所になったとしても
精一杯だった過去の自分が 次のステップへと背中を押す
だから いまも
やるべきことは ひとつだけ
イッショウケンメイ セイイッパイ♪
それでいいんだ
ご訪問ありがとうございました
感謝☆