母の日に母の母と 父の母のこと
今は亡き 祖母たちのコトを 書き留めておきたい
父の故郷は 喜界島 母の故郷は 種子島
自転車で日本一周の旅を終えた後に 喜界島は
やはり自転車で 一周した
どちらの島も 訪れたのは数回しかなく
大阪で生まれ育った私には
南国の優しい風しか 思い出せない
そんな美しい島に似つかわしくない 霊的な話は多い
実際 母は強烈な霊体験をしていて
島の霊媒師の除霊も効かなかったので
結婚前に島を出て 大阪へ来たという経緯がある
祖母の霊体験を聞いたのも 母からだった
だけど母は 決まって 話の最後にこう付け加える
「だけど気にしちゃダメ あなたには全く関係ないからね」
その言葉の意味が いまだ理解出来ないままなのだけど
それ以上聞こうとすると嫌がって怒るし
深くは 聞かないことにしていた
父の母は 神道で
伯父の家の6畳ほどの壁一面には
階段状に数段 上がれるように作られた
神殿のように大きな ヒノキの神棚(かみだな)があり
全体が真っ白な布で覆われたその最上段には
天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀(まつ)る丸い鏡が
鈍い光を放っていた
小学生の頃 遊びに行くと いつもその前で
「イザナギ イザナミノミコト カシコミカシコミ」と祈る
白衣をまとった 祖母の姿があった
私が中学生になる頃 祖母がいっしょに暮らすことになって
事情はわからないのだけど
祖母の白衣も神殿も もう見ることは無かった
フツウのおばあちゃんになった祖母が作る
よもぎ餅やアンダーギーは 楽しみなオヤツだった
2階の自室で高校受験の勉強をしていた夜
1階で亡くなっている祖母に
一番に気付いたのは 私だった
一方 母の母は 愛知県の伯父の家で暮らしていた
自転車で日本一周する旅の途中 立ち寄って
顔を見たのが最後だった
ある奇跡体験を機に 熱心なキリスト教徒になった祖母は
息を引き取る最期まで 讃美歌を歌っていたという
私は宗教を持たない
アフリカ・ヨーロッパ・中近東・アジア・・・
宗教の違いが発端の戦争は 後を絶たない
一時期
世界中の宗教人口分布や その起源を調べたことがあった
人が宗教に 心の拠りどころを求めるのは
歴史をみても 利己的な願望が見え隠れして
宗教は 私には疑問でしかない
そう言っても 祖母のように
奇跡の実体験に逢えば のめり込むのだろうか?
「大いなる意識」と感じる宇宙の神秘には
毎日 眠りにつく前 祈りを捧げている
これも 広義では宗教なのかもしれないけど
母性遺伝すると考えられるミトコンドリアDNAにも
隔世遺伝にも
信心と霊感に関しては
残念ながら?か 運よく?なのか
私には 伝わっていないようだ
けど不思議に思うことは 多々あって
それを解明できる能力が もしあるなら会得したい
あらゆる魂を癒すパワーとか
ないのかな?
あるなら 世界はとっくに救われているか
一人ひとりの心の中にも宇宙があって
それがシンパシーして繋がり広がり
世界は変わっていく
と信じている
信仰深かった祖母たちに こんな話したら
なんて言うかな
「変な子だね」と 笑うかな
それとも もしかして
祖母たちも 私と同じように
あらゆる魂の安らぎを願って 毎日祈っていただろうか
子供だったのだから仕方ないけど
もっと 祖母たちと話をすればよかった
亡くなった母は
夢の中に
しょっちゅう登場するから
祖母たちのことも
また聞いてみよう