旅立ちの日
十代最後の年
生涯流浪の旅人になろうと 決心した
地球には まだ見たこともない大自然や
さまざまな人たちがいる
果てしなく旅して
例えば砂漠で 野垂れ死んだとしても
それはそれで いい人生だと思えた
旅立ちにあたって まず問題は両親の説得だった
「可愛い子には旅をさせろっていうでしょ だから 私旅に出る!」
両親に この言葉は あまりに突然のことだっただろうし
かなりの反対が予想された
「じゃ計画を提出してみなさい」
意外な父の言葉に
私の企みはあっさりと許可されたかにみえた
早速 地図を買い 日々進む距離まで記入して綿密な計画書を提出した
内容は
大阪(当時市内に住んでいた)から紀伊半島を周り
太平洋岸沿いに青森まで北上して フェリーで渡り 北海道を一周して
最北端の礼文島からは 日本海側を九州まで下り
四国から大阪へ帰ってくる というものだった
私の企みは 世界へ出ることだったが
それを両親に告げるのは イキナリ過ぎるかと思い
少し押さえて まずは日本一周にしたのだった
歩いてよりはスピードがつくということで
自転車旅行を思いついた
計画書を見た父の顔色は 変わった
「自転車?! 乗ったこと無いじゃないか」
確かに 私は自転車を持っていなかった
でも友人のを借りて 何度か乗ったことはある
明らかに私の旅を阻止しようとする父の質問が続いた
「どこに泊まる」
「ユースとか」
「お金は」
「貯金24万あるから 郵便通帳にしたら全国郵便局でおろせるし」
「足りるのか」
「足らなかったら 途中でバイトする」
「度に出たら ピアノ弾けなくなるぞ」
・・・もう さんざん弾いたよ と心の中では叫んだが
娘をピアニストにするのが夢だった父には 言えなかった
幼稚園の頃から 毎日ピアノの練習をさせられてきて
私の中では もうとっくに挫折していた
「帰ってきたら また弾くよ」
懸命に両親を説得した
井の中の蛙で このまま成人するわけにはいかないこと
苦労も経験しなくては いい大人になれないこと
とにかく 19歳のいま やってみたいんだという意思を 訴えた
父からの条件として
まず 自転車で琵琶湖を一周してくることが出来たら
日本一周を許可する ということになって
早速 自転車を買って 3泊4日で条件をクリアして
いよいよ 日本一周に旅立つことになった
父は 新たに2つの条件を出してきた
1 旅先から毎日電話を入れること
2 男の子に見えるように 坊主にすること
長かった髪を 限りなく坊主に近いショートヘアにして
毎日電話することを約束した
旅立ちの朝
母は 玄関で見送るのが精一杯だった
私が出たあと 泣き出したに違いない
父は
買ったばかりのビデオカメラを手に
旅立つ姿を撮ってやるんだと いっしょに家を出た
無言の父と並んで
押して歩く自転車は かなり重かった
ハンドルには フロントバッグ
後輪には 着替えなど最低必要な身の回り品で
両サイドバッグはパンパンに膨らんで その上には シュラフなど
荷物だけで10kgを超えていた
そして 背負ったリュックには
母が握ってくれた 大きすぎるおにぎりが6個も入っていた
表通りまで出て ようやく 父が口を開いた
「ここから乗ればいい 直線だから 後ろ姿ずっと撮っててやるよ」
自転車にまたがって
「じゃ 行ってきます!」と手をあげると
父は すでにビデオカメラを右目にあてていて
私は ペダルを力強く踏み込んだ
直線の道が切れるところまで走って 左折する瞬間
父を 振り返った
右手にカメラを だらりとぶら下げ
左手は 目頭を押さえていた
遠くに小さくなった父の その姿は
グサリと 私の胸を突き刺した
裂けた胸の痛みのまま 国道26号線を南へひた走り
全走行距離7000km 184日間のひとり旅が
ここから始まったのだった
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