無知の知ノート

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「宇宙旅行の父」と呼ばれるツィオルコフスキーという人物

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宇宙旅行なんて誰の空想にも無かった19世紀という時代に  

流線型のロケット設計図その燃料について発表した

この人物の存在が  今の宇宙開発に繋がっている  

 

1年前か2年前だったか忘れてしまったのだけど  

「コズミックフロント」で知ってから  

言いづらい名前なのに  ずっと覚えているツィオルコフスキーという人物 

その人生と 宇宙研究において後世に影響を与えた功績が凄まじい 

 

 

コンスタンチン・ツィオルコフスキー

 

1857年9月17日(新暦では9月5日)~1935年9月19日

ロシア帝国生まれ 

ロケット研究者・物理学者・数学者・SF作家 

 

コンスタンチン・ツィオルコフスキー画像 - Google 検索

 

人生をざっくりと辿ると

1857年     ロシア帝国 イジェフスクに生まれる

 

1867年(10歳) 猩紅熱(しょうこうねつ)にかかり難聴を患う 

 

1870年(13歳) 母が他界 

家計は苦しく難聴であったことから小・中学校へは通わなかった 

 

1873年(16歳) モスクワに出て図書館の蔵書を読みあさり 

独学で 数学・物理学・天文学を学んだといわれる 

 

1897年(40歳)「ツィオルコフスキーの公式」を発表 

「ツィオルコフスキーの公式」とは

噴射ガスの速度が大きく ロケット点火時と燃焼終了時の質量比が大きいほど より大きな速度を得られる というもので    

固体燃料よりも液体燃料の方が遥かに大きな排気速度を出せることを示した 

 

1903年(46歳)独自のロケット理論の論文を完成

 液体水素と液体酸素を燃料とする流線型のロケット設計図を発表 

 

(帝政ロシア時代には不遇な扱いを受けていたが 

1917年のロシア革命を機に評価されるようになった)

 

1919年(62歳)ソビエト連邦共産党政府の下 ロケット研究に専念 

 

1935年(78歳)死亡(国葬が執り行われた)

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人工衛星宇宙船の示唆多段式ロケット軌道エレベータの考案など 

ロケットでの宇宙旅行の可能性を証明した業績から「宇宙旅行の父」と呼ばれたツィオルコフスキー 

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その後 ロケット技術開発の代表的な人物としてドイツ人 ヴェルナー・フォン・ブラウン(1912~1977)や ロシア人セルゲイ・パーヴロヴィチ・コロリョフ(1907~1966)の名が挙げられるが 彼らに与えた影響も大きいに違いない  

 

ちょっと話しはソレるけど

ヴェルナー・フォン・ブラウンが 戦時下のドイツからアメリカへ亡命する際の話なども 面白いので機会があれば ぜひ読んでほしい  

 

一方 セルゲイ・パーヴロヴィチ・コロリョフ主導による1957年に打ち上げられた世界初の人工衛星「スプートニク1号」は 

ツィオルコフスキー生誕100周年記念と国際地球観測年に合わせて打ち上げられた  

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きのう9月17日は コンスタンチン・ツィオルコフスキーの誕生日 

彼の生誕から161年が過ぎた今   空想は実現可能な世界になった 

 

打ち上げ台から流線型のロケットが発射される場面を見る時 

ツィオルコフスキーという 非凡な人物がいたことを思い出したい   

 

 

ツィオルコフスキーの名言 

「今日の不可能は 明日可能になる」

 

「地球は人類のゆりかごである しかし人類はいつまでもゆりかごに留まっていないだろう」 

 

 

ご訪問ありがとうございました  

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