無知の知ノート

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海人族(日本人のひとつのルーツ?!)に壮大な物語を感じた

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縄文人の人口は約10万人ほどだったと読んだ記憶がある  

それが弥生時代に入って100万人を超えたと?! 

 

そんな大昔の人口が正確にわかるものではないだろうと疑問に思いつつも 

弥生時代の人口増加は 渡来人にあったのだろうことは推測できる 

 

渡来人のひとつ

海人族(かいじんぞく・あまぞく)

 

(Wikipediaによると}

縄文時代から弥生時代以降にかけて海上において活動し のちに海上輸送で力をつけることになった集団 

学術的な研究としてはまだ進んでいない分野

 

海人族の系統は大きく2つ    

 インド・チャイニーズ系 と  インドネシア系 

 

 は大陸から東シナ海を北上して来た 弥生人の一集団と考えられていて 

 はより年代は古く 黒潮に乗って縄文時代にやって来た 南東系の種族(隼人?)といわれる 

 

① ② 共に 果てしないストーリーを感じるのだけど  

 

今回は 海人族(宗像族・安曇族・海部族など)の中から安曇族について 

 

〇 安曇族

 

中国や朝鮮半島と交易があったとされ  

九州北部に本拠地を置く古代日本を代表する有力氏族 

 

のちに 瀬戸内海から近畿を廻り北上し 

長野県安曇野に本拠地を移すことになるのだけど 

その一族移住の理由が 

 

九州から比べると寒いし 都からも離れ 当時は荒れ地だった山奥の土地に 

何故 一族が移住しなければならなかったのか 

 

一説には  

安曇比羅夫(あずみのひらふ)という人物が亡くなったことがキッカケ?

といわれているけど その辺りの解明がされていない 

 

まず 彼の人生をザックリ辿ってみる 

〇 安曇比羅夫(あずみのひらふ)

 

・ 舒明天皇在任中に百済へ使者として派遣される 

・ 舒明天皇崩御(641年)に際し 642年 百済の弔使を伴って帰国 

・ 斉明天皇7年(661年)百済への唐の脅威に対し 救援のため将軍となり百済へ渡る 

・ (662年)日本に渡来した百済の王子に王位を継がせるため 水軍170隻を率いて百済へ渡る 

・ 天智天皇2年(663年)8月 白村江の戦いで戦死したとされる 

  白村江の戦い=朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)での 日本・百済連合軍と 唐・新羅連合軍との戦い

 

 

でっ 

この安曇比羅夫が 長野県安曇野市穂高神社祀られている 

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同神社の毎年9月27日に行われる御船祭り 安曇比羅夫の命日とされ 

巨大な船形の山車(だし)をぶつけ合うという勇壮な祭り  

 

安曇族は 後世 安住氏・安積氏・厚見氏・渥美氏・・・と多様に表記され 

 

瀬戸内海を経由して近畿~渥美半島~伊豆半島の熱海など 

安曇族が移動した痕跡は 日本各地に地名として残されいる  

 

(参照)  

海人族 - Wikipedia

阿曇氏 - Wikipedia

阿曇比羅夫 - Wikipedia

 

 

海の民が 何故 穂高で祀られているのか 

調べれば調べるほどが果てしない 

 

アイキャッチ画像は 

安曇族の本拠地であったとされる福岡県志賀島  

 

滋賀県のシガは志賀島からきているという説もあり 

滋賀県安曇川という地名もある 

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(福岡県 志賀島)  

 

 

安曇比羅夫 生涯を思う時   

ピーリー・レイースの生涯が オーバーラップした 

www.rairi.xyz

 

(妄想)

安曇比羅夫が白村江の戦いで戦死するまで 朝鮮半島へ派遣され続けたのは 

九州豪族の力を恐れた朝廷の 陰謀があったのではないだろうか?

 

安曇比羅夫はそれを承知の上で 一族のため頑張っていた? 

そして

一族の要であった彼の死後 朝廷の圧制を恐れた安曇族は 

住み慣れた豊かな土地を離れざるをえなかった?

 

ーーーーー

古代九州の豪族がヤマト朝廷により制圧された事件といえば  

「磐井の乱(527年)」がある 

 

その頃を伝えるものとしては 

日本書紀・筑後国風土記・古事記・・・などに記述があるものの 真実はみえてこない 

所詮 歴史書というのは勝者側のものだから 

 

だけど 言えることは 

いつの世も 権力を握った者は 

能力を持つものを恐れるのだ 

 

出る杭は打たれる 

 

中央集権を進めるヤマト朝廷が 

地方豪族を押さえていったという 古代日本の様子を垣間見た気がした   

 

  

ご訪問ありがとうございました 

感謝☆

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